鏡絵 大江山酒天童子(おおえやましゅてんどうじ)
見送絵 福の舞(ふくのまい)
絵師  聖龍院龍仙(しょうりゅういんりゅうせん)

今年のコンセプトは「原点回帰 ~城東らしい、楽しいねぷたをしよう!~」です。
鏡絵は、35年前の城東ねぷた最初の題材である「酒天童子」とし、見送り絵は来福をオカメ=お多福で表現しました。
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■大江山の酒呑童子伝説

平安時代から鎌倉時代に掛けて都を荒らした無法者としての“鬼”は、丹波国の大江山、または現在の京都市西京区大枝(おおえ)、老ノ坂(おいのさか)(京都市洛西地区)及び隣接する亀岡市篠町王子(大江山という小字がある)に本拠があったとされる。丹波国の大江山の伝説は、大枝の山賊が行人を悩ませたことが誤り伝えられたものとする説がある。

京都に上った酒呑童子は、茨木童子をはじめとする多くの鬼を従え、大江山を拠点として、しばしば京都に出現し、若い貴族の姫君を誘拐して側に仕えさせたり、刀で切って生のまま喰ったりしたという。あまりにも悪行を働くので帝の命により摂津源氏の源頼光と嵯峨源氏の渡辺綱を筆頭とする頼光四天王により討伐隊が結成され、姫君の血の酒や人肉をともに食べ安心させた上、酒盛りの最中に頼光が神より兜とともにもらった「神便鬼毒酒」という酒を酒呑童子に飲ませて体が動かなくしたうえで寝首を掻き成敗した。しかし首を切られた後でも頼光の兜に噛み付いていたといわれている。

頼光たちは討ち取った首を京へ持ち帰ったが、老ノ坂で道端の地蔵尊に「不浄なものを京に持ち込むな」と忠告され、それきり首はその場から動かなくなってしまったため、一同はその地に首を埋葬した。また一説では童子は死に際に今までの罪を悔い、死後は首から上に病気を持つ人々を助けることを望んだため、大明神として祀られたともいう。これが現在でも老ノ坂峠にある首塚大明神で、伝承の通り首から上の病気に霊験あらたかとされている。大江山(京都府福知山市大江町)の山中に埋めたとも伝えられ、大江山にある鬼岳稲荷山神社の由来となっている。

また京都府の成相寺には、この神便鬼毒酒に用いたとされる酒徳利と杯が所蔵されている。

酒呑童子という名が出る最古のものは重要文化財となっている「大江山酒天童子絵巻」(逸翁美術館蔵)であるが、この内容は上記の酒呑童子のイメージとはかなり異なっている。まず綴りが酒「天」童子であり、童子は一種の土着の有力者・鬼神のように描かれていることがうかがえる。また童子は「比叡山を先祖代々の所領としていたが、伝教大師に追い出され大江山にやってきた」とも述べている。酒で動きを封じられ、ある意味だまし討ちをしてきた頼光らに対して童子は「鬼に横道はない」と頼光を激しくののしった。
大江山の酒呑童子と源頼光主従 (歌川芳艶 江戸時代)

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■頼光四天王
渡辺綱、坂田金時、卜部季武、碓井貞光

平安時代中期の武将で、土蜘蛛退治などの説話で知られる源頼光に従事した4人。
頼光同様に後世に成立した『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』、『御伽草子』などで大江山での酒呑童子討伐など有名。

個人としては四天王筆頭とされる渡辺綱は京都の一条戻り橋の上で鬼の腕を切り落とした話が有名で、坂田金時は童話に出てくる金太郎の成人した姿である。一方卜部季武や碓井貞光はあまり有名な話が伝わっておらず、正確な人物像は不明である。

渡辺綱
(わたなべ の つな)は、平安時代中期の武将。源宛の子。嵯峨源氏の源融の子孫で、正式な名のりは源綱(みなもと の つな)。通称は渡辺源次。頼光四天王の筆頭として知られる。京都の一条戻り橋の上で鬼の腕を切り落とした話が有名。

坂田金時
金太郎(きんたろう)は、坂田金時(さかたのきんとき、公時とも)の幼名。または、金太郎を主人公とする昔話、童話の題名である。天延4年3月21日(976年4月28日)、足柄峠にさしかかった源頼光と出会い、その力量を認められて家来となる。名前も坂田金時(きんとき)と改名し、京にのぼって頼光四天王の一人となる。

卜部季武
(うらべのすえたけ、天暦4年(950年) – 治安2年(1022年))は、平安時代中期の武将。正式な名は平季武(たいら・の・すえたけ)。
源頼光に仕え、渡辺綱を筆頭とする頼光四天王の一人とされる。能『大江山』の酒呑童子退治や、神楽『土蜘蛛』『子持山姥』『滝夜叉姫』に登場することで有名。

碓井貞光
(うすい さだみつ)は、平安時代中期の武将。平姓とも橘姓とも云われる。生まれは碓氷峠付近とする説と相模国とする説がある。
源頼光に仕え、渡辺綱を筆頭とする頼光四天王の一人と称される。大江山の酒呑童子退治で有名。『今昔物語』には源頼光の三人の家来の一人として、その名が記されている

大江山絵巻
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■源頼光、坂田金時、紅葉姫、酒呑童、茨木童子、唐熊童子

あらすじ

「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立」

人皇第六十六代、一条天皇の御代、丹波国、大江山に酒呑童子という悪鬼が立てこもり、茨木童子、唐熊童子ら数多くの手下を従え、都や近隣の村々に出ては、悪事をはたらいていた。時の帝は当時、都の警備の任にあった多田源氏の棟梁、源頼光に酒呑童子征伐の勅命を与える。勅命を受けた源頼光は平井保昌や四天王らと共に、山伏修験者に姿を変え、大江山へと向かう。途中、八幡神より神酒を授かり、里人に大江山の様子を聞き、都から連れて来られた紅葉姫の道案内のもと、鬼の岩屋へと到着する。酒呑童子は源頼光主従を疑うも数々の問答の末、疑いを解き、岩屋への宿泊を許す。源頼光は神酒を都の酒と偽り、酒呑童子らに勧め、酒に酔い伏した所を見計らい、酒呑童子らを合戦の末、成敗する。

別名「酒呑童子」とも呼ばれる。

大江山とは京都府福知山市にある山で、源頼光が酒呑童子を退治した山として伝えられている。

源頼光は平安時代中期の武将で、一条天皇の勅命により四天王(渡辺綱、坂田金時、碓永貞道、卜部末武)を連れて大江山の酒呑童子を退治すると言う内容である。
石見神楽では四天王の内、渡辺綱と坂田金時が登場する。

源頼光、渡辺綱、坂田金時の主従三名は住吉八幡宮に参拝して武運を祈る。
その時、神社の使いの者が現れ、大江山の鬼は修験者には手を出さないから山伏に成りすますよう忠告を受け、人使鬼毒酒(じんしきどくしゅ)という神酒を授かる。

大江山への途中、都から浚われてきた姫の案内で鬼の住処に辿り着くと、酒呑童子とその家来達が酒盛りをしているところであった。
そこで、一行と鬼との仏法談話のやりとりがあり、すっかり頼光らを山伏と信じ切った鬼達は酒を酌み交わすうちに神酒の功徳によって酔いつぶれ、力を失ってしまった。

そして、ついに源頼光が本名を明かし、格闘の末、見事に酒呑童子らを退治するという筋書きである。